山上徹也の家族構成を徹底調査!母親が統一教会に依存し破産

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7月8日に安倍元首相を銃撃し逮捕された山上徹也ですが、その動機に「特定の宗教に恨みがあり家族がバラバになった」と明らかにされています。

この記事では山上徹也の家族構成や子供時代の生い立ちなどを調査しまとめてみました!

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山上徹也の家族構成は5人家族だった「崩壊した家族の歴史」

山上徹也の家族構成は報道によると父親、母親、兄、妹、そして山上徹也の5人家族だったと分かっています。

山上徹也の父親は祖父の経営する会社で働いていたそうですが、山上徹也が5歳の時に死亡しています。

父親の死因に関しては詳しいことは分かっていません。

また、父親の死後に山上徹也の母親が宗教団体の統一教会(現、世界平和統一家庭連合)に入信した可能性が高く、それによって山上徹也の家庭崩壊が始まってしまったのかもしれません。

実際なぜ母親が統一教会という宗教にハマってしまったのかは明らかにされていません。

ただ、早くにパートナーを亡くし、女手一つで子供を育てていかねばならない重圧や、夫を亡くした目を背けたくなる現実から逃げるべくのめり込んでしまったのかもしれません。

父親が幼少期に亡くなった為、山上徹也たちは奈良市平松の母方の祖父の家へ妹と3人で移住したそうです。

しかし、その後、祖父も亡くなり、奈良市内の家を家族3人で転々とします。

母親と妹は2007年から実家と報道されていた戸建てに住んでいました。

山上徹也は恐らく15年程前の2007年から実家には一緒に住まずに一人暮らしをしていたと考えられます。

山上容疑者の子供時代を知る住民によると、奈良市内で育った母親は結婚して三重県に嫁ぎ、山上容疑者と3歳下の妹を出産。だが、夫を早くに亡くし、祖父が1人で住んでいた母方の奈良市平松の一軒家に母親、妹ともに3人で移り住んだ。

一家はその後、祖父が亡くなったこともあって、事件現場に近い西大寺近辺など引っ越しをくり返し、約15年前に再び、奈良市平松の一軒家に引っ越した。だが、ここにも山上容疑者はほとんど姿を見せていなかったようで、35年前から道路を挟んだ向かいに住んでいる男性によると、母親とは顔を合わせればあいさつをするが、山上容疑者らしき男性の姿は「見たことがなかった」という。

引用元:ヤフーニュース

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山上徹也の家族構成「兄は大病を患い自殺」

また、報道によると山上徹也には兄もいたことが分かっています。

しかし、兄の詳細についてはまだ詳しく分かっておらず、年齢や顔なども不明の状況です。

現段階では5,6年前に自殺で亡くなったと報じられています。

「兄は大病を患い、長年治療に苦しんでいました。ですが、母親は宗教団体への献金や行事参加にのめり込み、一家は借金苦に喘いでいた。その結果、疲れ果てて、ついに兄は自殺に追い込まれてしまったのです。山上容疑者には相当ショックだったと思います。山上容疑者自身もこうした生活に相当苦しんでいたようで、海上自衛隊時代には自殺未遂の過去があるようです」(前出・捜査関係者)

引用元:文春オンライン

文春オンラインによると、山上徹也の兄は大病に苦しめられていたにも関わらず、母親は統一教会の献金や行事参加などで多額のお金を使い込み、借金まで作っていたようです。

そんな状況に兄は疲れ果て、ついには自ら命を断つ決断をしてしまったのですね。

こうして考えると、山上徹也もその兄も、そして妹も母親の宗教によって家族が崩壊してしまったのかもしれません。

大病ということですから、その治療費もかさんでいたのではないでしょうか。

また、兄の病名は明らかにされていません。

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山上徹也の家族構成「妹は3つ下で子供時代は活発な子」

そして、山上徹也には3歳下の妹がいることも分かっています。

子供時代、妹はよく外で遊んでいたそうですが、山上徹也は家からあまり出ず、引きこもりがちだったそうです。

近隣住民も山上徹也の姿を見かけたことがあまりないと証言しています。

物静かな人だったという母親に似たのか「非常におとなしかった」というのが当時の山上容疑者を知る近隣住民の総評。「男の子がいた記憶がない」という人が多く、「外にあまり出ていなかった」と引きこもりがちだったとの証言も。

引用元:ヤフーニュース

そんな妹ですが山上徹也が41歳とのことなので現在は38歳の年齢だと思われます。

一般人なので顔や名前などの個人情報は見つかりませんでした。

いくら犯罪者の家族とは言え、これまで普通に一般人として生活してきたのですがら、名前や顔が出てしまうと今後の生活に支障がきたすでしょう。

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山上徹也の経歴と生い立ちについて「あまりにも不幸な境遇」

そんな山上徹也の生い立ちについて調べてみました。

三重県で山上徹也の兄、妹と共に誕生します。

父親が山上徹也が5歳の時に死亡し、母親と子供ら3人は地元の奈良市平松の祖父の家に移住

しかし、その祖父も亡くなってしまい、奈良市内の家を転々とします。

母親の宗教団体への多額のつぎ込み等で生活は困窮。

1999年に祖父の家を売却し、2002年には母親が自己破産しています。

祖父の家を売却した同じ年に山上徹也は大和郡郡山市の県立高校を卒業

(高校時代は応援団に所属)

2002年~2005年の間に海上自衛隊に所属

自衛隊を退役した後は測量会社でアルバイトとして勤務

ファイナンシャルプランナーや宅地建物取引主任者の資格を取得

※昔から勉強ができたという証言があるので勉強はできたと見られます。

2020年秋~2022年5月まで大阪の人材派遣会に籍を置き、京都府内の工場で勤務

※フォークリフトの業務を担当

2022年4月に退職

2022年5月中旬に退職し、事件当日まで無職

2022年7月8日安倍元首相を銃撃

社会に出てからの経歴はそこまで不幸なものではないかと見えますが、今回の事件を山上徹也に起こさせた要因となりそうなのはやはり子供時代の歴史にありそうです。

山上徹也の小学校時代は「どちらかというと物静かでリーダータイプではない」と当時一緒に遊んだことのある人が言っています。

中学時代に同学年だった男性:

(中学時代は)宿題とか教えてたりした。友達とかも、そんな仲良くするって事はあんまりなかったみたいなんですけれど、普通の会話なり、そういう感じのことはしてた。

引用元:ヤフーニュース

普通に会話はできるがそこまで友達付き合いをするような感じの子供ではなかったようです。

そして中学時代はまさに優等生タイプだったそうです。

山上容疑者と部活が一緒だった中学時代の友人:

模範的ないい中学生。まず賢いですし、真面目ですし、不平不満も言わず、運動も勉強も平均以上にできる人。誰かに嫌われることも嫌うこともないが、目立ってしゃべっているイメージはない。おとなしい人、本当に毒気がない人だったので、みんな(勉強を)聞いていたと思います。

引用元:ヤフーニュース

この方の証言だけを見ると、「なんであの山上が?」という気持ちが強いのではないでしょうか。

模範的な勉強のできる真面目な子で、特に問題も起こさず周りからもされていたようですし、おとなしいですが周りからも好かれていたと思われます。

そんな山上徹也は本当のところでは誰にも言えない悩みを一人孤独に抱えて過ごしていたのかも分かりません。

また、山上徹也は父親を5歳の時に亡くし、母親が女手一つで子供らを育てていたわけですが、母親の統一教会入信は1998年のことだと判明しています。

田中会長の説明によると、山上容疑者の母親が入信したのは1998年頃。同連合に献金し、2002年頃に経済的に破綻した。09年頃から17年頃までは行事に参加しなかったが、2、3年前から再び接点を持ち、2か月前にも行事に参加していたという。

引用元:ヤフーニュース

山上徹也が現在41歳なので小学校時代は恐らく1988年~1994年のあたりと考えられるので、母親はまだ宗教にのめり込んでいない時期ですね。

高校時代は応援団に所属し、活躍していたそうです。

そんな元気ハツラツな一方で学校生活では友達との距離を開ける子だったようです。

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